あなたの町の朝日新聞店 | 小さな散歩道 目次へ |
(左) 別府神社の鳥居 (右) 斜めの枝ぶりに驚く
多摩都市モノレールの甲州街道駅を降りて、新川崎街道を10分ほど南へ進むと、街道沿いに建つ別府神社が見えてきた。
別府神社の創建年代は不詳だが、由緒には2説ある。
1つは、この地は平成16年に町名改正が行われるまでは「宮」という地名であり、かつてこの宮村と上田村で土地争いがあった際、宮村の地頭であった別府太郎が身をもってあたり、勝訴することができたので、里人がその霊を祀って社を建てたという説、もう1つは、鎌倉時代、分倍河原の合戦の折に別府太郎という武士が敵に追われ、この近くの深田に白馬もろとも落ちて戦死してしまった。この武士が里長の夢枕に「我が霊を祀らばこの地を守らん」と出たので、この社を建てた、というもの。
幾分謎めいた神社であるが、境内に入ってまず目に付くのは、境内から斜めに飛び出すように伸びている松の木だ。さすがに添え木で保護されているが、根元を見ると凄い角度で地面から伸びている。
鳥居左手のこの辺りはサルスベリなどが植えられた小さな雑木林になっていて、緑の中に紅葉がきれいに映えている。地面を彩った落ち葉の上には、ザクロの実や松ぼっくりなども転がっており、なかなかいい雰囲気の雑木林だ。
また、近くには「鳥居建立記念碑」の石碑があり、「みどり保護登録樹林・雑木林」という看板もあった。昭和47年に登録されたこちらの看板の住所は「日野市宮50」となっていた。
「別府社」と書かれた鳥居をくぐって参道を進む。参道脇には御神庫と手水舎があり、根元が複雑な形をした木々が周りを覆っている。参道を進むと正面に古めかしい拝殿が構えているが、その拝殿すぐ手前には、左から視界に入り込むように松が堂々と伸びている。この松の存在感は圧倒的であり、あまりの光景に少々面食らってしまう。地面から身をしならせるように天高く伸びたその姿はまるで龍のようであり、上を見上げると幹はYの字型になっている。境内から突き出るように伸びたこの松は、神社のシンボル的な存在なのだろう。さほど大きな神社ではないものの、なんとも存在感のある神社である。
(左) 境内で見かけた素朴なお地蔵様 (右) かつての町名を残した「宮こども広場」
(2017年12月掲載) 地図
小さな散歩道 目次へ | 前へ | 次へ |