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(左)
宗印禅寺の山門 (右) 本堂
京王線の平山城址公園駅を降りると、駅前のロータリーの一角に「平山季重(ひらやま すえしげ)居館跡」という看板と「季重公霊地碑」、「平山季重遺跡之碑」という碑が建っていた。
平山季重は、平安末期から鎌倉初期にかけて果敢に戦った武将として知られている。この場所には、明治時代まで季重を供養するために建てられた大福寺という寺があり、大福寺は平山季重の居館跡とも伝えられていたという。
北野街道を渡り、右手に伸びる坂道を登っていくと、突き当りの高台に風格ある佇まいの宗印禅寺が見えてきた。山門をくぐって境内に入ると、正面には立派な本堂が構えている。金字で書かれた「宗印寺」の文字が印象的な趣きある本堂だ。
また、広々とした境内の順路には石畳が敷かれており、整然とした造りとなっている。高台にあるため、振り返って山門から来た道を眺めると視界が開けてなかなか気持ちがいい。
境内右手の一段高くなった一角には日奉(ひまつり)地蔵堂があり、中には寄木造の平山季重坐像と、金泥を施された小地蔵像、千躰地蔵が左右に500体ずつ安置されている。どちらも江戸時代前半に造られたもので、市の有形文化財に指定されている。
地蔵堂の傍らには東京都旧跡である平山季重の墓がある。この墓は明治17年(1884)大福寺が廃寺となり、宗印禅寺に併合された際にこちらに移されたものだ。高さ1.8メートルほどの五輪塔で、さほど大きくはないが、さすがに年輪を感じさせるお墓である。この日は寒波の吹きすさぶ厳しい日であったが、近づいてみるとお線香がほのかにたかれていた。また、「開運招福・日野七福神」ののぼりが風にたなびく布袋尊では、布袋様が穏やかに微笑んでいた。
境内裏手に進むと、牛の像が置かれた平山天神宮がある。足を折ってチョコンとたたずむ姿がなんとも愛らしい。その先の階段前には、とても珍しい青い鳥居が構えていた。鳥居をくぐり、階段を上りきった高台にも青い鳥居があり、その先には小さな社がひっそりとそびえていた。
忘れてはいけないのが昭和2年(1927)52歳で他界した篤農家・林丈太郎の墓碑があることだ。丈太郎は品質が良い上に干ばつに強く、収量の多い「平山陸稲(りくとう、おかぼ)」を発見し、平山の名
を全国に広めた。近年、保存されていたその「平山陸稲」の種が発見され、地元の農家と小学校で復活栽培が行われている。
(2017年2月掲載) 地図
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