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日野駅を降り、日野駅東の交差点を渡って宝泉寺の先にある坂道を上っていくと、右手に鳥居が見えてきた。こちらは飯綱権現社という神社で、1888年(明治21年)、甲武鉄道(今の中央線)が建設されるまでは日野駅から見える丘の上にあったそうだ。
鳥居をくぐり、坂を上って本殿へ。この本殿の基礎部分が珍しいレンガ積みとなっているが、これは「日野煉瓦」を使用したものだそうだ。本殿裏手に回ってみると、すぐ目の前に線路があった。ここはちょうど日野駅のホームと正対するような位置にあり、まさに目と鼻の先を中央線が走っているという感じだ。なかなか珍しい光景に面食らってしまうが、間近で電車を眺められる面白いスポットだ。なお、こちらには柵などは設けられてないため、十分に気をつけてもらいたい。
赤い屋根の坂下地蔵堂 堂の前方には大小6体の地蔵が並ぶ
新緑が鮮やかな権現社を出ると、すぐ隣には擬宝珠(ぎぼし)の据えられた赤い屋根が印象的な坂下地蔵堂がある。もともとこの地蔵堂の前の道は旧甲州街道であり、街道は線路対岸の大きな坂へと伸びていたという。このお堂は街道を行く旅人などの休憩や宿泊の場となっていたそうだ。
堂宇の中には日野市指定文化財である地蔵菩薩座像がある。1713年(正徳3年)に造られた青銅の座像(高さは120cm)は、正面の格子窓からその姿を垣間見ることができる。説明板には「永く甲州道中日野宿の西の出入り口に鎮座して、ここを通行する旅人を見守り、彼らからは『坂下地蔵サマ』と親しみ敬われた」とあった。
お堂の前には赤い帽子を被った2体の大きな石地蔵と、6体の小地蔵が立ち並んでおり、安らかなその表情は今でもここを通る人たちを見守っているように見えた。
なお、近くの案内板には1971年(昭和46年)に撮影されたお堂周辺の写真があり、鉄道開業後、街道は踏切で線路を渡っていたことが分かる。踏切はもう存在しないが、道は線路の前で不自然に二手に分かれており、今でもその痕跡を見てとることができる。
1971年撮影のお堂付近 ⇒
(2015年5月掲載)
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