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大正から昭和にかけて、池上本門寺にお参りする人々を運ぶために、鎌田〜池上〜雪ヶ谷〜五反田まで池上電気鉄道か開通した。そして1928年10月、雪ヶ谷(現在の雪が谷大塚駅)〜諏訪分駅〜新奥沢駅間1・44キロが新奥沢線として開通した。しかし、その後、池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に統合され、1935(昭和10)年廃止になった。
新奥沢線の軌道跡は現在の自由通りになっていると聞いて奥沢駅から雪が谷大塚駅まで、たった7年だけあった鉄道の足跡を探す。
奥沢駅の横を通る自由通りを南へ。五差路に出たら右に曲がる。少し歩くと左にコインランドリーが1階に入ったマンションがある。その先隣のマンションの植栽の中に新奥沢駅跡と彫られた小さな石標を見つけた。ここに駅があったとは想像もつかない。
石碑「新奥沢駅跡」
この石標が立つ道路は昔は府中と品川を結ぶ品川道(みち)と呼ばれたそうだ。多摩川上流の山林で伐採した材木をいかだにして六郷方面に運んだ筏乗りが青梅方面に歩いて帰る道だったという。
環八道路とこの品川道がぶつかるところに古くは「左新田道、右品川道」ときざまれた「庚申供養塔」が立っていたそうだ。
その「庚申供養塔」が東玉川神社に祀られているというので、再び東玉川の五差路に戻り、自由通りを雪が谷大塚駅方向に5分ほど歩く。左側の東玉川交番の手前に東玉川神社があった。
世田谷区教育委員会の案内板を見ると、この神社の拝殿、本殿は400年前の徳川二代将軍秀忠の頃につくられたもので、戦前に渋谷区本町の氷川神社から移築されたそうだ。世田谷区有形文化財に指定されている。
拝殿に手を合わせて、向拝殿の天井板にふと目をやると、凄い目をしてこちらをにらみつけている龍神像が墨で描かれていた。龍気の凄まじさが火焔となって立ち上がり、邪気を払う姿と言われている。弘化2(1845)年、萬遷による「火焔龍神像」だった。
庚申供養塔を探すと、やっと神社の裏の鳥居の近くにあった。草に覆われ「左新田道、右品川道」という文字は残念ながらはっきりとは確認できなかったが、当時の人々にとって大事だった道しるべにしばし思いを馳せる。
自由通りに戻り、昔の池上電気鉄道跡をかつての雪ヶ谷駅(現・雪が谷大塚駅)に向かって歩いたが、その面影を探すことはできなかった。
(2025年6月掲載) 地図
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