小さな散歩道

岡本かの子文学碑 (川崎市高津区二子1-4-1)


二子神社

岡本かの子文学碑を道路側から写す

岡本かの子の歌を刻んだ歌碑

亀井勝一郎の文を川端康成の書によって刻んだ碑

昔、二子と瀬田を結んだ「二子の渡し」の碑が
近くの多摩川の河川敷に立つ


(上)岡本かの子文学碑

 二子新地駅の東口から大山街道に出る。街道を少し左へ進むと、二子(ふたご)神社の一の鳥居が建っていた。この鳥居をくぐって道を進むと、多摩川のほとりに建つ二子神社に着いた。

  二子神社の創建は寛永18(1641)年といわれており、旧二子村の村社だったそうだ。江戸時代から渡船場として栄えた二子宿を往来する旅人や商人をはじめ、長年多くの人々に敬われてきた神社だという。
  古めかしい社殿の周囲には緑が高く伸びていて、社殿の左手には「川崎市・まちの樹50選」に選ばれたムクノキが伸びていた。この境内の木々には小鳥たちも多く訪れるようで、社殿近くのベンチに腰掛けていると、緑の中から小鳥たちのさえずりが心地よく響いてくる。

  また、二子新地には昭和30年代頃まで花街が広がっていたそうで、境内には芸者置屋・待合・料亭の三業からなる二子三業組合によって作られた境内社・出世稲荷があり、鳥居すぐ左手の街灯柱にも「二子三業組合」と記されていた。

  境内右手には、岡本かの子文学碑「誇り」が建てられている。この文学碑は、芸術家・岡本太郎が母である歌人・岡本かの子を偲んで制作したもので、築山(つきやま)と台座の設計は建築家・丹下健三によるものだ。

  岡本かの子は二子村の旧家・大貫家に生まれ、幼年期をここ二子で過ごしたのだそう。文学碑のある一角は庭園風に整備されており、傍らには、かの子の業績を讃える文芸評論家・亀井勝一郎の文をノーベル文学賞受賞作家・川端康成の書によって刻んだ碑があり、道路側にはかの子の歌碑が設置されている。
  「としとしにわが悲しみは深くして
        いよよ華やぐいのちなりけり」
という歌が、かの子の筆跡から拾字されて御影石に刻まれている。これは、かの子の代表作「老妓抄(ろうぎしょう)」に女主人公の歌として小説の末尾に記されたもので、晩年の自身の心境をそのままに歌ったといわれている。

  神社の一角にモダンなモニュメントが鎮座しているという、ちょっと不思議な光景だが、球体に乗った白鳥が羽を広げているようなこの文学碑は、周辺一帯に強烈な存在感を放っている。
  また、文学碑の築山には階段が造られていて、ここを上ると多摩川が望めるようになっている。遊び心があり、なかなか気持ちのいいスポットだ。そして、後ろを振り返ると「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」と刻まれた碑が設置されていた。一平は岡本太郎の父親。
  なお、多摩区にある岡本太郎美術館のシンボルタワー「母の塔」は、この文学碑に向けて建てられているそうだ。

(2022年5月掲載)  地図


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