小さな散歩道

大音寺 (世田谷区奥沢1-18-3)

 
(左)大音寺本殿  (右)大音寺の入口


大音寺の掲示板

水子子育て地蔵

境内は常に花が咲いている

隣接する区立奥沢公園

 大井町線の緑が丘駅下車、目黒線の踏切を渡り、商店街を南下。奥沢中学の脇を通り過ぎてから右折。奥沢公園の手前、右に伸びる石段をあがったところに浄土宗のお寺、大音寺の山門が見える。駅から約8分ほどの近さだ。東急目黒線奥沢駅からは約10分くらい。階段の脇には車用スロープもある。

  立派な山門をくぐりると、平らで、きれいに掃き清められた境内があった。正面の本殿に手を合わせ、ベンチに坐る。境内の白梅、紅梅が見ごろを迎えているのに気が付いた。このお寺は高台にあるので景色も良く、ほっとできる空間だ。
  本殿の脇の掲示板には「福はくるくる 車のように 辛抱する身に 巡り来る」の文字が目に入った。コロナ禍で先が見えない今、心にしみるお言葉だ。

  大音寺からいただいた資料によると、お寺はおおよそ300年前の江戸時代中期、元禄年間(1688〜1703)に旧奥沢村の東方に開かれた。その草創にあたって尽力したのは奥沢村を知行していた旗本渡邉氏だった。渡邉氏は幕末に至るまで、ここを知行所として、大音寺をあつく庇護した。開山は専蓮社念誉上人と言われている。

  江戸時代の奥沢地域は奥沢新田村と奥沢本村に分かれていた。大音寺の位置する奥沢本村はわずか二十余軒の農家があるばかりだったのでお寺の運営は厳しかったと思われるが、それだけに村民とお寺との絆は深い。
  中でも秋葉稲荷は別名「火伏稲荷」といい鎮火、防災に霊験あらたかなお稲荷様として近隣の農家の信仰を集めた。今でも秋葉稲荷は皮膚病の治癒に効験あるとされる瘡守稲荷と共に境内の小祠に合祀されている。
  また隣接する白菊幼稚園は、戦後幼児教育の必要性を痛感した大音寺が1953(昭和28)年に創立したもの。

  帰りに同幼稚園とは道路を挟んで隣接する大田区立奥沢公園に寄る。一部改修中だったので、すぐ気が付かなかったが、タイヤが遊具としていくつか置かれていた。以前紹介した、子どもたちに人気のタイヤ公園と呼ばれている公園だった。

(2021年3月掲載)  地図


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