小さな散歩道

奥澤神社(世田谷区奥沢5-22-1)

 
(左)奥澤神社 (右)鳥居に掛かる藁で作られた大蛇の顔


平日でも参拝客が絶えない

弁財天に通じるべんてん道

八幡小学校発祥の地を示す石柱

弁財天

  東急目黒線奥沢駅を出て右へ自由道路を3分、大井町線、東横線自由が丘駅からは自由道路を南へ15分。高い木に囲まれた神社の鳥居には、しめ縄ではなくワラでできた大蛇が絡まっていた。長さは約10メートル、胴の直径約25センチ。全体で約150キログラムもあるそうだ。厄除(やくよ)け大蛇と呼ぶ。
  顔の部分をよく見ると、耳、目玉(和紙に黒の二重丸)、上アゴ、下アゴ、舌、ヒゲまでワラで作ってあり迫力があるがどこかかわいらしさがある。毎年秋の大祭(9月第2土曜と日曜)に造り変えて、新しい大蛇が奉納される。

  同神社は室町時代の末期に当時、奥沢地区近辺を治めていた吉良氏の家臣大平氏が奥沢城を築城するに当たって世田谷郷東部の守護神として八幡神を勧請したと伝えられている。当初は「八幡神社」と呼ばれていた。
  社殿は1874(明治7)年に村社に、1909(明治42)年に近隣の神社を合祀し、奥澤神社と改称した。社殿は1970(昭和45)年に尾洲檜材を用いて再建されたものだが、室町期の神社建築様式が採用されていて、都内ではめずらしいとか。書院造に通じる直線美が印象に残る。

  厄除け大蛇の由縁はこうだ。江戸中期に、奥沢地方に疫病が流行した時に、名主の夢枕に八幡大神様が立ち「ワラで作った大蛇を作り、村人が担ぎ、村内を巡行させるとよい」とお告げがあった。早速ワラで大蛇を作り村内を巡行させたところ、ほどなくして疫病が治った。以来、町内を2時間半かけて巡行する「大蛇のお練り」が続いている。

 だが、1939(昭和14)年から57年まで18年間途絶えていたことがある。39年に正面の鳥居を木製から石製に再建、「石に巻き付かせたのでは、大蛇の腹が冷えてかわいそうだから」と取りやめになったという説と、大蛇造りに使うワラが手に入らなかったからという説もある。
  現在は、ワラを取り寄せ、大祭前に奥沢全体から奉製者が集まり、境内で大蛇造りをしている。新しい大蛇は社殿に安置され、社殿にあった昨年の大蛇を鳥居に掛け、大祭の日に「大蛇のお練り」が行われる。

 「大蛇のお練り」は世田谷区無形民俗文化財の指定を経て、2016(平成28)年、東京都の無形民俗文化財(風俗習慣)に指定された。

  境内には涼しく、弁財天、子育て地蔵、八幡小学校発祥の地の石碑などいろいろあって興味深い。

  例年9月大祭は弟2土曜と翌日日曜の2日間。「厄除大蛇」は第2土曜で、10時〜12時半に、町内大蛇お練りが行わていた。
  ★今年はコロナウイルス感染拡大予防のため、13日11時より祭典のみで、その他の神事、行事は中止に。

(2020年9月掲載)  地図


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