小さな散歩道

頓兵衛地蔵堂(大田区下丸子1-1-19)


地蔵菩薩立像(俗称頓兵衛地蔵)

大田区教育委員会による説明板

多摩川七福神のひとつ、布袋様が祀られている

お堂の隣に並ぶお地蔵様5体


頓兵衛地蔵堂

  東急多摩川線の武蔵新田駅下車、改札口を出てすぐ右にある踏切を渡り、線路沿いに左へ。下丸子駅方向に200メートル(歩いて5分)ほど行くと、左側に建つマンションの前に大きな椋(むく)の木があり、根元に大小5体のお地蔵様が並ぶ。その横にあるのが「史跡 矢口ノ渡 頓兵衛地蔵尊堂」だ。お堂の前には「頓兵衛地蔵 布袋尊 多摩川七福神」と書かれた赤い旗が2本たなびいているからすぐわかる。

  お堂の中を見ると、舟形光背をもつ高さ70cmほどの地蔵菩薩立像(俗称頓兵衛地蔵)があった。目や鼻は崩れていて、別名とろけ地蔵とも呼ばれるのも分かる。材質が砂岩なので、触るとポロポロと崩れるところから「触るとイボが取れる」という民間伝承が生まれ、顔が触られ、ますます崩れたという話もあるそうだ。

  お堂の脇に大田区教育委員会による「大田区文化財 地蔵菩薩立像」と題した説明看板があった。
 「頓兵衛は、この付近で起きた新田義興の謀殺事件をもとに、江戸時代つくられた浄瑠璃(じょうるり)「神霊矢口渡」(平賀源内・作)の話に船頭役で登場する人物の名である。……」
  「新田義興の謀殺事件とは1358年(南北朝時代)に活躍した南朝方の勇将・新田義貞の子・義興が北朝の足利側に寝返った旧臣・竹沢右京亮や江戸遠江守(えど とおとうみのかみ)らに謀られ、矢口の渡しで舟を沈められて悲惨な最期を遂げたというもので、「太平記」などに記されている」とある。

 物語では、新田義興勢十数人を船に乗せた頓兵衛は多摩川の半ばで、わざと櫓を川に落とし、それを拾うと嘘をつき、川に飛び込み、船底の栓を抜き、船を沈め、自分は対岸に泳いで逃げた。その後、竹沢、江戸が義興のたたりにあって死亡。頓兵衛も自分のやったことを悔いてこの地蔵を作ったという物語もある。

  浄瑠璃だけでなく、江戸時代の浮世絵画家・歌川国芳や国貞による画『神霊矢口之渡』も残されている。

(2020年5月掲載)  地図


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