小さな散歩道

大田区立勝海舟記念館 (大田区南千束2-3-1)


勝海舟肖像写真
1860年38歳の時、サンフランシスコで撮影したもの

1階の「海舟ブレイン」コーナーより 

2階に行く階段の手摺にもアール・デコ様式の意匠が


勝海舟記念館

 東急池上線「洗足池」駅下車徒歩6分。国登録有形文化財である旧清明文庫を活用した全国初の勝海舟記念館を訪問。昨年オープン以来、地元民だけでなく全国から海舟ファンが訪れているという。

  清明文庫は、昭和8年に勝海舟の洗足池畔にある別荘「洗足軒」や墓の管理、関連書籍の管理・閲覧、講演会開催などを目的に財団法人清明会が開館した鉄筋コンクリート造の建物。南側半分が2階建て(1階は閲覧室、2階は講堂)、北側半分が3階建て(書庫)という特徴がある。
  正面玄関上に垂直にそびえる4本の柱は「ネオ・ゴシック」建築の特徴だ。内装は「アール・デコ」様式の意匠が取り入れられ、華やかな雰囲気を醸し出している。

  勝海舟(1823〜1899)は幕末に西郷隆盛を説得し「江戸無血開城」を実現させた人物として知られる。なんでそんなすごいことができたのか。勝海舟という人物と彼が生きた時代を教えてくれるのが、この記念館だ。

  入館してすぐのところにあるコーナー「海舟ブレイン」では、中央の台に置かれた地球儀に手を置くと、壁面に「およそ人の上に立つものは」「逆境こそ成長の糧」というタイトルで、海舟自身の言葉が写し出され、音声が流れる。海舟の想いと人物像が分かる仕掛けだ。
  「時の部屋」ではCG映像を使い、大海原を進む咸臨丸(かいりんまる)の航海が体感できる。奥は企画展示室で定期的にテーマを替え展示する。

  2階の中央にある元演壇には大型モニターがあり映像で若き日の海舟や洗足池を映像で紹介。
  江戸・本所で貧しい旗本の家に生まれた海舟は市井の人々の面倒をよくみる豪放磊落な父親・小吉の影響を受けて育つ。剣道、座禅、学問に打ち込み、青年になって蘭学や兵学を学び、見識を深め、人脈を広げていった。
  黒船が来航した時、幕府に「海防意見書」を提出したことで、登用され、長崎海軍伝習所に携わる。そこでオランダ人から海軍技術を学び、1860年、咸臨丸でサンフランシスコに。アメリカ社会で国際的な視野を養う。
  1867年10月、徳川慶喜が「大政奉還」を宣言、12月、明治天皇が「王政復古」を宣言し江戸幕府の終焉を迎える。
  年が明けて1868年正月、鳥羽伏見の戦いで勝利した新政府軍は、勢いに乗り火を放ち江戸総攻撃を企てる。海舟は池上本門寺で西郷隆盛と会見。西郷を説得し官軍の攻撃を未然に防ぎ、徳川幕府の平和的降伏を成功裏に収めた。「江戸無血開城」だ。この時、海舟は「江戸百万の民を救いたい」という市民の立場に立った平和への想いがあったことが数々の書状から感じられた。
  海舟は新政府後、元幕臣の面倒をみる一方、西郷隆盛の死を悼む心の広い人物だった。

  海舟が愛した「洗足池」の晩秋の景色を味わい、池のほとりにある勝海舟夫妻の墓所で手を合わせ帰途についた。

海舟が愛した洗足池 →

■大田区立勝海舟記念館

開館時間/10:00〜18:00
       (入館は17:30分まで)
休館日/毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、
      年末年始、臨時休館日
入場料/一般300円、小中学生100円、
      高齢者(65歳以上)240円
      (年齢の分かるものを提示)
問合せ/TEL 03-6425-7608

(2020年1月掲載)  地図


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