小さな散歩道

嶺天祖神社 (大田区西嶺町)


境内左側にある、嶺天祖神社の碑

嶺天祖神社 (大田区西嶺町4-10)

 東急池上線「御嶽山益」から徒歩5分、東急多摩川線「沼部駅」からも徒歩圏内、11分ほどで行ける距離だ。御嶽商店街を通り、御嶽神社とは反対方面へ。東海道本線と横須賀線を越えて環八通りを渡ったところに「嶺天祖神社」がある。天祖神社とは、天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮を総本社とする、通称『お伊勢さん』と呼ばれることも多い神社だ。

 嶺天祖神社の創建は江戸時代の寛文年間(1661〜1673年)。嶺村の住人数人が伊勢神宮へ参拝したときに授与された御神霊をお祀りしたのが始まり。
  昭和初期には、東調布第一小学校が木造校舎の一部を建て替えたときの古材を譲り受けて、境内に嶺町公会堂を建立、その中に社務所、嶺町町会事務所を併設していた。戦時中はこの公会堂に大森区役所(現大田区役所)嶺町出張所が設置され、第二庁舎が新築されるまで利用されていた。

 昭和47年の都道環状八号線建設に伴い、境内が半分以下になった。翌年、本殿、鳥居、社務所を建立、参道や玉垣など境内整備も完了し、現在に至る。氏子区域はなく、崇敬者で維持されている神社だ。

 

  
(左)  環八通りに面している嶺天祖神社  (中)  訪問時、祠の門は閉じていた  (右) 通りから階段を数段上がると、すぐに鳥居がある

 同神社の特色は、川崎市芸能無形文化財に指定されている「祢宜舞(ねぎまい)」だろう。太鼓の響きから別名「デデンコ舞」とも言われる。毎年4月21日午後3時から奉納される、厄払いと豊作を祈る舞。「祢宜」は現在では神職の位を意味するが、十六世紀ぐらいまでは神職の総称だった。

 祢宜舞の起源は定かではないが、江戸時代の中期頃といわれる伝統的な神楽だ。1940〜41年頃までは、多摩川を中心に調布市から大田区六郷近郊まで、川の両側の神社や町の広場など約20ヶ所で舞われていたが、戦後、東京側ではここ嶺天祖神社だけになってしまった。

 舞のお面は5種類。舞うごとにお面と衣装を変える。道祖神で道案内役を担うことから、人生の道案内の神とされる通称「天狗様」の猿田彦命(さるたひこのみこと)、天岩戸の前で踊って天照大御神を慰めた芸能の女神、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、天岩戸の前で祝詞を唱えて祈祷した、神事、祭りを司る神、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、山で鳥獣狩猟を司る、山の幸の神、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、山の大自然を司る山の神、大山祇命(おおやまずみのみこと)の五神を表す。

 舞が終わると、江戸時代に始まったと言われる「お湯花」という儀式もある。

(2019年10月掲載)  地図


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