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(左) かつての品川道から環八を見る (右) 東玉川神社の鳥居
江戸時代以前から府中と品川を結ぶ品川道(みち)という古道があった。多摩川上流で伐採した木材を筏にして六郷方面に流した筏乗りが歩いて府中方面に帰る時に歩いた道だそうだ。世田谷区をL字に走った環八が田園調布駅の先で南東に曲がり、大田区に入る。環八から分かれて東に走り、石川台の交差点で中原街道に合流する道が品川道と言われている。
環八からの分岐点に「左新田道、右品川道」と彫られた庚申塔が立っていたと。この新田道というのは矢口の新田神社までの筏道と考えられるという。
東玉川2丁目に住むおばあちゃんに聞くと、「品川道って知らないけど、近くにあった庚申塔は東玉川神社に祀られているから行ってみたら」と言われた。かつての品川道を石川台方向に歩き、東玉川の五差路を雪が谷方面に曲がった。その道は自由通りという名前がついていた。
5分ほど歩くと、左側に東玉川交番があり、そこが東玉川神社だった。境内にある世田谷区教育委員会の案内板によると、この社殿は2009年、世田谷区有形文化財(建造物)に登録されたとある。
昭和14年(1939)に拝殿、翌年に本殿を渋谷区本町の氷川神社から譲り受けて移築。「新編武蔵國風土記稿」に慶長10年(1605)、徳川二代将軍秀忠の頃と記されているというから、由緒ある建物だ。向拝の天井板には、弘化2年(1845)、萬遷による「火焔龍神像」が水墨で描かれているとあった。社殿で手を合わせ天井を見ると、すごい目をして睨みつけている龍神像があった。こんな住宅街に由緒ある神社があるとは思ってもみなかった。
向拝の天井に描かれた「火焔龍神像」
さて目的の庚申塔を探すと、神社境内奥に発見。大事に祀られていた。「環八の道幅が広げられた時、東玉川神社に移されたのよ」と参拝に来た近くに住む年配の方が教えてくれた。ここの自由通りは昔(1925〜35年まで)雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)まで池上電気鉄道(現・東急池上線)が走っていたとも。その起点になった「新奥沢駅」があったところに石碑が立っていると教えてくれた。東玉川の五差路に戻り、環八通りとぶつかるところに向かうと、左側のマンションの角に「新奥沢駅跡」と書かれた石碑があった。この辺に駅があったのか、としばし足を止めるが、この石碑しか鉄道が通っていた痕跡がないとは感慨深い。
(2019年5月掲載) 地図
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