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夕日に映える丸子橋
多摩川河口からは13キロメートルの位置、鉄道橋を除けばガス橋と二子橋の間にかかる丸子橋。 東京都大田区田園調布本町と神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町を結ぶ、延長405.6メートルの橋だ。
東急東横線・多摩川線「多摩川」駅から徒歩5分。東急多摩川線の線路に沿って沼部駅方面へ歩き、多摩川浅間神社を通り過ぎると、大きな鉄骨のアーチ型橋梁が見えてくる。
橋のたもとに交番があり、その交番の正面、道を渡った反対側に車2台分の駐車場ぐらいのちょっとした広場がある。 そこに、1934(昭和9)年に建設された、初代丸子橋の親柱が記念に残されている。現在の橋は2000(平成12)年に架け替えられたものだ。
初代の橋はリズミカルなアーチが組み合わされた姿が特徴で、1990(平成2)年に「かながわの橋100選」に選ばれた。
現在の橋にもそのイメージが継承されており、その景観から様々なテレビドラマなどのロケ地としてよく使用されている。最近では映画「シン・ゴジラ」のシーンでも登場している。
映画の中では、ゴジラに玩具のように吹き飛ばされてしまう丸子橋だが、実際は大きく立派な橋だ。
東京都道・神奈川県道2号線が通り、車の交通量も多い。橋の両側に幅員4メートルの歩道があり、歩行者や自転車、ジョギングをしている人など、地域住民の往来も盛んだ。
橋の中程が、東京都と神奈川県の都県境にあたり、その標識もある。
丸子橋の歩道
橋を渡って、川崎市側に入ってすぐ左手に丸子橋公園がある。橋を降りて、石畳の小さな公園に入ると、 左手奥に、ここにも初代の丸子橋の親柱があり、横には1935(昭和10)年橋の開通当時の写真入り説明板もあった。
道を渡り、多摩川の土手を登る。200メートルほど下流方面に行った草地の中に「丸子の渡し」跡の、四角い金属の碑がある。 丸子の渡しの始まりは江戸時代初期とされ、江戸と平塚の中原を結ぶ中原街道にかかる渡しとして、平塚のお酢や相州の農産物を運ぶのに利用された。 当時は荷物を積んだ荷車で賑わい、道の両側には農家や商家が立ち並び、居酒屋などで一休みする人も多かったという。
土手の遊歩道から、多摩川河川敷の緑地帯に降りる。丸子橋第一グラウンドでは、いくつかのスポーツチームがお揃いのユニフォームでトレーニングしていた。 グラウンド脇の遊歩道を丸子橋の方に戻ったところに「丸子の渡船場跡」の碑があり、丸子の渡しの歴史が記されている。丸子の渡しは、丸子橋の開通で廃止になった。
丸子に橋を造ることは、明治時代の早い時期から地元住民が再三出願していた。 その願いがなかなか実現しなかったので、大きな看板を立てたり、宣伝ビラを印刷したり、いわゆる住民運動のような取り組みもあったようだ。 国や県に何回も陳情を繰り返し、第1回目の出願から43年後に、やっと完成したのが1935(昭和10)年の初代の丸子橋だった。
(2019年1月掲載) 地図
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