小さな散歩道

鵜ノ木八幡神社 (大田区南久が原2丁目)


鳥居

社殿側面

  東急電鉄池上線久が原駅から徒歩5分、東急多摩川線鵜の木駅から6〜7分。アップダウンの住宅街を抜けて、別当の増明院前を通る環八通りに。「鵜の木八幡下」という信号を横断し、坂道を登ったところにある。

 鵜ノ木八幡神社は室町時代(15世紀後半)に、旧下野国(しもつけのくに 現栃木県)佐野から旧鵜ノ木村へ移住し、鵜の木村の開発者とされる天明(てんみょう)五郎右衛門光虎が一族の守護神として八幡大神を祀って創建したとされる。古くから鵜の木・久が原地区の鎮守で江戸時代は「鵜ノ森明神」「八幡様」と呼ばれ、庶民に親しまれていた。

 階段を数段上がり、石鳥居へ。鳥居の右手に「鵜ノ木八幡神社」と刻まれた社号標があった。鳥居の両脇にある鉄柵で囲われた灯籠は1940年の奉納と記されている。社殿前、境内の狛犬は黒く、相当古そうだ。台座裏には明治24年と書いてあった。天明家が奉納したものか。子にお乳を授えている珍しい狛犬だ。

  1847(弘化4)年に造営された旧社殿は、1945年の空襲で焼失し、2000年に再建された。入母屋造の拝殿と流造(ながれづくり)の本殿が合わさった社殿は格調高く美しい。

 境内には「奨兵義会記念碑」という石碑が立っていた。1902(明治35)年、境内の西北隅に建てられたもので、旧鵜ノ木村、旧鵜ノ木山谷から出兵した子弟を顕彰する石碑だった。先の大戦の混乱期に境内に埋蔵されてしまったものが19年前に五十有余年ぶりに発掘され、復元した。

  訪問した日は盆踊り初日の昼間だった。提灯が下げられ、椅子が並べられ町内会の人たちが準備に忙しくしていた。
  神社周囲を囲む玉垣の外に稲荷社と疫病を流行させる神、青面金剛(しょうめんこんごう)の石像が祀られていた。祀ることで活動を封じ込めたようだ。

玉垣外の一角にある稲荷社と青面金剛の石像 ⇒

  帰りは、増明院へ。重厚感たっぷりの立派な山門にしばし足を止める。通りがかりのおじいさんから、この山門は備前池田家で使われていた武家屋敷門を移築したもので、山門の前の桜は見事だから、春にまたおいで、と言われた。

  なお、鵜ノ木八幡神社を創建した天明家の旧屋敷が、小金井市の「江戸東京たてもの園」内に、江戸時代の豪農が住んだ長屋門をもつ格式高い農家として移築・保存されている。

(2018年9月掲載)  地図


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