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境内はひっそりと落ち着いた雰囲気
日本の学園都市の先駆けとして知られる成城地区。1917年(大正6年)創設の成城学園が、関東大震災を機に1925年(大正14年)に新宿から同地区に移転、当時の学園関係者が理想のまちをイメージして開発したのがはじまりとか。
小田急線成城学園駅北口から歩いて5分とかからないところに同学園の大学や中学校・高校があり、文字通りの学園都市を形成している。
成城学園の南側に隣接する砧総合支所で、街歩きマップを入手してから散策に出かけるのも一案。ウォーキングコースは「国分寺崖線と成城の自然コース」と「成城の文化と桜並木を巡るコース」の2つが設定されている。これからの季節、マップを片手にせたがや百景(1984年選定)や地域風景資産(2002年選定)を訪れるのも楽しそうだ。
今回は、自然コースのいちょう並木、成城みつ池緑地、旧山田家住宅などを通り、喜多見不動堂まで歩いてみた。
この不動堂は喜多見慶元寺の境外仏堂で、本尊は不動明王坐像。創建は1876年(明治9年)5月。村内安全、諸難消除、各願成弁のため、喜多見の住人浦野半次郎が発起人となり、西山八郎兵衛、田中福太郎、宮川太郎兵衛、田中留吉、宮川安五郎、西山伊兵衛の7氏が願主となって、有志の寄進を得て今の地に堂宇を建立し尊像を安置した。
この尊像は、明治の初めの多摩川大洪水のとき、喜多見川原に流れ着いたものを前出の願主たちが成田山新勝寺で入魂したものと伝えられている。成田山へは、7氏が往復徒歩1週間をかけ、交替で不動明王の厨子を背負って行ったそうだ。明治から昭和初期にかけては信者も多く、講中も盛んだったが、1941年(昭和16年)1月に慶元寺境外仏堂となった。
毎年冬至の日には星祭が執行され、護摩が奉修される。特に南瓜に”真田幸村”と書き、自分の名を併記して護摩供養すると喘息や中風に罹らないという南京護摩が古くから行われている。
成城地区の西側に流れる野川近くにある喜多見不動堂の入口は、坂を下ったところにある。かなりの急勾配だが、それが成城地区が国分寺崖線の上にあることを想起させる。その地形によるものか、境内には湧水による滝があり、かつては信者が水行したそうだ。
坂を下りた分だけ、階段を上り境内へ。こじんまりしているが、きれいに掃き清められ、深い緑に囲まれて、成城学園駅周辺の賑わいとは別世界の光景だ。堂宇と並んで岩屋不動、玉姫稲荷神社、蚕蔭大神を祀った小祠もある。近代になってからの創建だが、当時の喜多見の人々の信仰が感じられ、神聖な気持ちになる。
坂を登り、来た道を少し戻って不動橋を渡る。この橋の中ほどに、関東の富士見百景にもなっている、富士山を眺められる絶好のスポットがある。特に毎年2月の初めには、ダイヤモンド富士を見ることができ、写真愛好家に人気だ。
(2017年10月掲載) 地図
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