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玉川野毛町公園は、東急大井町線「等々力駅」から約10分。テニスコートや野球場、子どもたちの野外活動練習のためのデイキャンプコーナーや、夏季は野外プールも開場する、区民の憩いの公園だ。駅から環八通りに出て300メートルほど行くと公園の入口に着くが、せっかくなので等々力渓谷を経由して行ってみた。
渓谷遊歩道のちょうど中ほど、玉沢橋を過ぎた辺りに公園に向かう階段がある。道標が出ているのですぐ分かる。階段を上り、そのまま住宅街の中の道を直進すると、公園へのルート地図標識があった。公務員等々力宿舎に沿って迂回するように住宅地の道を進むと、公園の脇に出る。
子どもたちが駆け回ったり、家族でのんびり散歩を楽しんだり、のどかな公園風景が広がる中心に「野毛大塚古墳」があった。
前方後円墳の前方部が小さくなった「帆立貝式古墳」の全景
野毛大塚古墳は、都指定史跡。大田区から世田谷区にかけて展開する荏原(台)古墳群のひとつ、野毛古墳群の中心となる古墳。5世紀初頭に築かれた、関東地方の中期古墳文化を代表するもので、全長82メートル、高さ11メートル、帆立貝式古墳としては全国でも最大級の前方後円墳。
“帆立貝式”とは、前方後円墳の前方が著しく矮小化し、帆立貝のような形に見える古墳のこと。
1897年(明治30年)に発掘調査が行われ、4基の石棺や多くの副葬品が発見された。鉄製の武器類や多種多様の石製器具類の中には、国の重要文化財に指定されているものもある。古墳の形や副葬品から、機内政権との直接的な関係が考えられ、在地系の田園調布古墳群の勢力と入れ替わったという、古墳時代の勢力争いを窺うことができる。
そんな考古学的価値の高い古墳だが、墳丘は築造当時の姿に復元され、1993年から一部を除き公開されている。子どもたちにとっては古墳も公園の一部、格好の遊び場になっていた。
脇には階段があり、古墳の頂上まで登れるようになっている。また、3段構造になっている古墳の段ごとに、遊歩道のような小道が作られ、各段の周囲をぐるっと一周することもできる。古墳の頂上には、発見されたときの石棺や埋葬品の様子が地面に描かれている。
冬の時期、古墳に緑がほとんどない分、前方部の葺石もはっきり見て取れる。かつて古墳の表面はすべて多摩川の河原石で覆われていたという、当時の姿に思いを馳せることもできるだろう。
(2017年2月掲載) 地図
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