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高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋ら幕末の志士に師事されていた吉田松陰が眠る神社に行った。東急世田谷線松陰神社前下車、徒歩5分。段差のない歩きやすい商店通りを抜けたところにあった。
松陰先生は1830年、長州藩士の家に生まれる。叔父が開いた私塾・松下村塾(山口県萩市)で寝起きし、子弟と共に畑を耕し、食事を作り子弟同行の実際教育を行った。通算2年半と期間は短かったが、その教えを受けた塾生らが近代日本の原動力となっていったことはよく知られている。1859年10月27日、松陰先生は尊皇攘夷を唱えたためm、幕府の大老・井伊直弼(なおすけ)により大弾圧を受け、30歳の若さで処刑された。世にいう安政の大獄だ。それから4年後、かつて当地・若林に長州藩主・毛利家の別邸があったことから、高杉晋作ら松陰の門人によって小塚原回向院にあった松陰の墓を当地に改葬した。それから19年後の1882年、門下の人々によって墓の側に松陰を祭る神社が創建された。
社殿の横にある松下村塾は、山口県萩市の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものだ。小さな塾だが、目を閉じると、国を憂い松陰先生の尊皇攘夷存に熱心に耳を傾ける若き志士たちの熱い姿が浮かんでくる。境内には石灯籠がずらりと並んでいる。その数32基。門下生の伊藤博文、山縣有朋の縁故者が奉献したもので、灯柱に刻まれた奉献者の名前を見ると明治維新の推進者たちが多く、松陰先生に心を寄せていたことがよく分かる。
社務所手前を左に行ったところに松陰先生の墓所がある。木戸孝允寄進の鳥居には「大政一新之歳、木戸大江孝允」と刻まれていた。徳川家奉納の水盤と石灯籠もあり、歴史の渦巻く神社という感じだ。
帰りは隣接する若林公園で一休み。敷地14,457平方メートルと広く、滑り台、ジャングルジムなど遊具も充実。奥にはスダジイ群があり、人々の憩いの場所となっている。
■問合せ
松陰神社/世田谷区若林4-35-1 TEL:03-3421-4834
(2010年5月掲載) 地図
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