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中央橋。下を中央線が通っている
初代のめがね橋に使われたレンガが
現在の3代目の橋に記念として埋められている
柴崎分水が水橋と呼ばれるトヨをとおって
中央線の上を渡る
中山陸橋から南を見る。
右手奥に諏訪の森の緑が、
画面の奥には立川十二景に描かれた山並みが見える
立川駅南口から、立川南通りを西に進む。諏訪の森広場を過ぎると、切り通しで日野方面へ向かう中央線を跨ぐ中央橋が架かっていた。橋のすぐ近くには青梅短絡線の踏切があり、踏切の近くでは交差する青梅短絡線の下を中央線がカーブしながらくぐっている。なかなか面白いポイントだ。
三代目めがね橋
中央橋から線路沿いを進んでいくと、欄干部から空に向かって無数のトゲトゲが飛び出たような橋が見えてきた。この印象的な外観をした橋が、めがね橋だ。橋のたもとにある説明板によると、現在の橋は三代目で、初代のめがね橋は日野煉瓦で造られたアーチ橋だったという。この明治〜大正時代頃のアーチ橋の姿は、市の指定有形文化財である「立川村十二景」に描かれており、説明板にも十二景の絵が添えられていた。
また、昭和10(1935)年の立川〜豊田間の複線化工事に伴い、初代めがね橋は取り壊され、二代目の橋に架け替えられたという。この橋もアーチ部分に古レールを使用したアーチ橋だったそうだ。その後、交通量の増加や橋の老朽化によって、今の三代目のめがね橋が平成22(2010)年に完成した。
「立川村十二景」に描かれている初代めがね橋は、蒸気機関車がアーチを描いた煉瓦橋の奥からモクモクと煙を吐き出している。かつてのめがね橋は、大変風情のある橋であったことがよく分かる。また説明板の足下には、当時を偲んでか、ひっそりと煉瓦が敷かれていた。
再び線路沿いを南へ進んでいくと、線路の上に水橋が架かっていた。これは、玉川上水から引かれている柴崎分水を渡すための橋だ。線路沿いの歩道から顔を出した分水は、住宅地の脇をサラサラと流れていた。
(右)中山陸橋
水橋の先では、奥多摩街道がりくばしで中央線を渡っている。「山中陸橋」と呼ばれていた初代のりくばしも「立川村十二景」に描かれていて、木造の橋の先には、段丘下に広がる集落や遠方に連なる山々が描写されており、右端には富士山も顔をのぞかせている。 橋の中央から日野方面を見ると、視界の先には多摩丘陵が見え、右手奥には山々が連なっている。「立川村十二景」に描かれているかつての光景は、現在とさほど変わってはいないと思えた。
(2021年3月掲載)
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