小さな散歩道

沢稲荷 (立川市柴崎町4-16)

 
(左)沢稲荷  (右)社殿


お狐様

墳丘の上に建つ社殿を東から見る

柴崎四西公園にある「学校教育発祥之地」の石碑

 多摩都市モノレールの柴崎体育館駅を降り、駅の北から東西に延びる道を西に10分ほど進む。突き当たりにある柴崎四西公園を左折すると、左手の民家と民家の間に細い砂利道が延びていた。砂利道の先によく目を凝らすと、ひっそりと鳥居が構えられている。民家の軒先に延びる砂利道を進んでいくと、鳥居の先は小高い塚になっていて、塚の上には赤く塗られた社殿がまつられていた。こちらが沢稲荷のようだ。

  沢稲荷の創建年代は不詳だが、この「沢」というのは、この辺りの古い地名であり、沢稲荷は農耕の神として、古くから人々の信仰を集めていたという。
  またこの塚は、その形状からして古墳だと考えられているそうだ。東京都遺跡地図には立川市の遺跡番号13番の古墳として登録されている。立川市内で唯一墳丘の残る古墳。石室の存在が確認されていて相当の規模のある古墳だったようだ。ある書物によると、直径15メートルあり、墳丘の上の部分は平らにけずられて神社がまつられ周囲は杉林が残っている。
  なお、この場所は区画の真ん中にポツンと取り残されたような形で残されており、ちょっと不思議な場所にある神社だ。

  鳥居の先の石段を上ると、塚の上部は平らに整地されていて、その上に建つ小さな社殿の正面には、「沢稲荷講中」と書かれていた。社殿の周りには緑が多く伸びていて、鳥居前には民家が目前に迫っている。社殿前のスペースは少々手狭に感じられるが、緑の中にたたずむ古の神社という雰囲気だろうか。

  社殿の横に出て、塚の上から周囲を見渡してみると、塚の斜面はこんもりとした円形になっていて、この塚は周囲を一周できるようになっている。石段を下り、横から沢稲荷を眺めてみると、緑の中に鎮座する赤い社殿がよく映えている。塚の裏手に回ると、一気に視界が開けてきて、この丸い塚の形がよく分かる。塚の斜面には手入れのされた緑が植えられており、鳥居の近くでは梅の実が落ちていた。

  柴崎四西公園に戻ってみると、園内には「学校教育発祥之地」という立派な石碑が建っていた。この場所は、普済寺ではじまった寺子屋がこの場所移され、明治11年(1878年)、立川の学校教育史上初めて独立した校舎が建てられた場所なのだそうだ。大正3年に現在の立川市立立川第一小学校の場所に移された。そんな由緒ある石碑前の広場では、時間を持て余した子どもたちがサッカーに興じていた。

  沢稲荷から少し南に進むと、崖下には緑豊かな根川緑道が延びている。こちらを散策しながら帰るのもいいだろう。

(2020年6月掲載)  地図


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