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(左)
十二神社の鳥居 (右) 社殿
中神駅南口から江戸街道を東に進み、中神立体南の交差点を右折。そのまま多摩大橋通りを進んでいくと、通り沿いに2つの石碑が建った一角があった。 ひとつの石碑は「築地村移村弐百年記念碑」というもので、石碑の下部には「1811-2011」と書かれていた。もうひとつの石碑には「地名『築地』を後世に伝える碑」と書かれていた。碑の説明によると、かつてこの地は築地村と呼ばれていたが、1965年の住居表示に関する法律の実施により「築地」の町名は消滅してしまったそうだ。
碑の右側に伸びる細い道を進んでいくと、瓦屋根の納屋などが立ち並ぶレトロな一帯に出た。ここの交差点を右に曲がると、十二神社にたどり着いた。
十二神社の創建年代は不詳だが、かつては多摩川の中洲にあり、築地村の鎮守であったという。しかし文化8年(1811)の多摩川大洪水により流失し、築地村落が現在の玉川町に移村した際に神社も遷座。その後、都道開通に伴い2002年にこの地に再移転したそうだ。なお、先ほどの石碑の建つ場所は、十二神社の跡地であるということだ。
石造りの鳥居をくぐり、境内に入ると左手に手水舎があり、その先の奥まった場所に社殿が構えられていた。社殿は石垣の上に造られており、塗装などを施されていない木製の社殿である。入口脇の看板には「現在地に移転新築された」とあったが、なかなか古めかしさを感じさせる社殿だ。また、朱色などの神社特有の色がないせいか、神社というよりお堂のような雰囲気を醸し出している。
社殿左手には、人ひとりがやっと通れるくらいの幅をした、縦長の鳥居が建っており、その先には小さな祠があった。また、広々とした境内中央に伸びる樹木は立派なもので、枝の根元がただれたような面白い形をしている箇所もあった。
築地公会堂
神社の近くには築地公会堂がある。芝生の上に建つ白い木造の公会堂は、昭和への郷愁を誘うような雰囲気だ。もう「築地」の町名はなくなってしまったのかもしれないが、入口に堂々と書かれた「築地公会堂」の文字からは、人々の「築地」への思いが表れているような気がした。
(2017年7月掲載) 地図
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