小さな散歩道

八高線列車衝突事故現場 (昭島市宮沢町3丁目)

 
(左) 2対の車輪は土手に  (右) 71年前の八高線列車衝突事故に遭った車両の車輪


赤錆びてはいるが損傷はない

事故があった八高線の鉄橋

車輪の設置場所はくじら運動公園の近く

 立川駅北口から「拝島駅・拝島営業所」行きのバスに乗り「谷下」で下車。ここからほど近い多摩川の堤防に上ると、目の前には八高線の鉄橋が架かっている。この鉄橋から少し下流側の堤防の傍らには、2対の古びた車輪が置かれている。

  近くの説明板には、「八高線列車衝突事故」とあった。この事故は、終戦からわずか9日目の昭和20年(1945年)8月24日朝、ここ小宮・拝島間の多摩川鉄橋上で上りと下りの列車が正面衝突し、列車は川に転落、少なくとも105名が死亡するという大惨事が起こった。日本の鉄道史上でも有数の重大事故といわれており、犠牲者の多くは終戦とともに故郷に向かう復員兵や、疎開先から自宅に帰る人々だったという。
  この2対の車輪は、平成15年(2003年)に鉄橋付近から引き上げられたもので、事故を後世に伝えるために設置された。

  近くのベンチに腰掛け、錆びた車輪の先に目をやると、八高線がガタゴトと音を立てて多摩川を渡っていった。また、堤防下は「くじら運動公園」になっており、子どもたちがサッカーボールを夢中で追いかけていた。
 堤防を下り、鉄橋下を進んで河原へ出ると雨上がりのためか、川の流量も少し多いようで、バシャバシャと音を立てて流れている。また、水面からそびえ立つ橋脚は、近くで見ると想像以上の大きさだ。橋の下流側近くには「アキシマクジラ出土地」の看板がある。小さな看板だが、昭和36年(1961年)、ここ多摩川鉄橋の下流36メートルの地点から、クジラの化石がほぼ完全な形で発見されたそうだ。

  橋をくぐり、上流側から鉄橋を眺めてみると、橋の姿が水面に映りなかなか美しい。川の中ほどでは、茶色い川床がちょこんと小島のように顔をのぞかせており、面白い表情を見せてくれる。
  鉄橋を眺めながら「事故があったのはこの辺りだろうか」などと考えていると、横田基地へ向かう米軍機が上空を横切っていった。

(2016年8月掲載)  地図


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