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三方を石垣で囲まれた中神坂
木魚を枕にこっくり(境内にある石像)
中神の教育発祥地と書かれた石碑
福厳寺本堂
立川駅北口から「拝島駅・拝島営業所・昭島駅南口」行きのバスに乗って「中神」で下車。バス停から奥多摩街道を少し戻ると「中神坂」の交差点に着く。ここは四方のうち三方を高い石垣に囲まれたちょっと異様な交差点だ。福巌寺は、この交差点の一角に鎮座している。石垣に挟まれた坂道を上ると、白い外壁が印象的な本堂が見えてきた。
福巌寺は臨済宗建長寺派のお寺で、寛永元年(1624年)の創建。戦国時代末期には、立川氏がこの高台に支城を構えていたそうだ。現在の本堂は戦後に再建されたものだが、なんといっても目を引くのは2階に鎮座するお釈迦様の姿だ。この2階部分は正面と後ろには壁がなく、風が吹き抜ける構造となっている。まさに「風に吹かれる」お釈迦様というわけだ。また、波打ったような形のカーブを描いた屋根もユニーク。
境内はよく整備されていて、ちょっとした庭園といった風情だ。植栽の中に塔や石像があり、心が安らぐ空間だ。南国風の樹木や木魚を枕にして眠るお坊さんの像なども面白い。
本堂の正面右手には鐘楼、左手には「中神の教育発祥地(中神学校のおこり)」と彫られた石碑が建っている。実は江戸時代後期、福厳寺には寺子屋が開設され、明治中期になると小学校が置かれたということで、この地域の教育とは深い関わりがある場所だった。
この辺りからは多摩川方面が見渡せ、高台からの見晴らしはなかなかよく、朱色のアーチを描く多摩大橋もよく見えた。
福巌寺から対角線上の石垣上には、日枝神社がある。小さな神社だが、古くからある神社のようだ。また、奥多摩街道を進んだ左手には観音堂恵日庵がある。文化2年(1805年)に建立されたお堂で、こちらには「自治行政のおこり」という石碑が建っており、明治後期から大正時代には、中神村外七ヶ村組合村役場として利用されていたそうだ。派手さはないものの、とても趣きあるお堂だ。
観音堂恵日庵
(2015年6月掲載) 地図
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