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残堀川が立川崖線(がいせん)を流れ落ち、南東へと90度、向きを変えた辺り。静かな流れを見下ろす山中坂に地蔵堂がある。
ひっそりとしたたたずまいが軍都として栄えた立川の悲劇を伝える、山中坂防空壕跡だ。
西立川駅の北側にある昭和記念公園の開園は1983年。この一帯は1977年に返還されるまで米軍基地だった。
さらにその前には、日本陸軍の航空関係施設や工場が集まっていた。
米軍の攻撃対象となった立川。第二次世界大戦末期の1945年には、B29爆撃機がたびたび襲来した。
2月16日から8月2日までに、少なくとも13回の爆撃があり、330人以上が犠牲になったという。
最大の犠牲者を出したのが4月4日未明の空襲だ。柴崎町や高松町、砂川町など基地の周辺にまで爆撃が及び、140人以上が亡くなった。
山中坂にあった横穴式防空壕にも爆弾が直撃し、空襲警報を受けて避難していた42人が命を落とした。そのうち32人は子どもだったという。
戦災供養地蔵には花が手向けられていた。台座には犠牲者の名が刻まれている。
ここでの悲劇から「山中坂悲歌」が生まれ、1995年4月2日、地蔵堂の右側に歌碑が建立された。
山中坂は残堀川の流れる南向きに開かれていて、遠くの山まで望める。崖線上の竹林が風に揺れ、蝉しぐれが響く。
のどかな風景だ。 一方で、ここなら爆撃機の機影も見えたかもしれないと思えるほど、南斜面を遮るものはない。
「息つめよりそう」「闇をひきさきとどろく音」の歌詞が、悲劇の日を想像させる。
山中坂防空壕跡へは、立川駅北口と同駅南口をつなぐバスで、滝の上会館入り口バス停下車。
バス停すぐの交差点から残堀川に近付き、がけを下る坂の途中にある。 周辺は「歴史と文化の散歩道〜立川の古村をあるくコース」になっている。
西には立川市歴史民俗資料館がある。残堀川の遊歩道沿いを東に進むと普済寺。立川氏館跡といわれる土塁などがある。
(2010年9月掲載) 地図
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