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(左) 人気の複合遊具 (右) 公園から豊田駅方面を見る。左に中央線
日野用水が公園前を流れている
裏面を読むと公園設立の由来わかる竣工碑
公園と接している薬王寺
日野駅西北の田植え前の代掻き風景。昭和12(1937)年
左奥に薬王寺の林、右に中央線の土手が写っている
日野駅で降り、駅前のロータリーから、線路沿いの道を立川方面に5分ほどいくと、水辺で遊ぶ子どもたちの絵の中に「水の郷 ひの」と書かれた大きな看板がある公園がある。 ここが四ツ谷前公園だった。2012年開園。広さは1671平方メートル。入口近くを流れる水路に架けられた小さな橋を渡って園内に入る。 入口近くのエリアにはイスやテーブルが置かれていて、水路近くは親水広場のような造りとなっていて、お母さんが小さな子どもと水遊びに興じていた。
案内板の説明によると、この辺りには、昔から4軒が固まって住んでいたところから、字名(あざめい)を四家と呼んでいた。 それが後に四谷と呼ばれるようになったのだとか。また、かつてはこの一帯は水田が開けていたという。
入口右手の竣功記念碑を読むと、この地のことがもう少し詳しくわかった。
「四谷」の地名は、江戸時代中期からの村方文書などによると、4姓(天野、加藤、小島、宮原)の家から始まり四家、四屋とも呼ばれていた。
四谷に伝えられるうなぎ伝説の説明もあった。昔多摩川に大出水があり堤防が決壊しそうになった。
その時うなぎが堤防に張り付き固まりになって洪水から村人を守ってくれたといもの。以来、この辺りの人々は神仏に感謝と加護を思う心を込めて現在でもうなぎを食べない家が多いとか。
公園内にはオレンジ色の三角屋根が印象的な木製の複合遊具がありなかなかの人気だ。
滑り台や丸太の足場が吊られた橋、よじ登れるネットやはしごなどが組み合わされたちょっと複雑な形をしていて、子どもたちや親子連れが終日、声を上げて遊んでいた。
複合遊具の傍らには藤棚があり、その先は運動広場。空が広く感じられ、開放感にあふれて気持ちがいいエリアだ。 広場の脇には背のばしができる健康ベンチが置かれていた。
ベンチに座ってひと息ついていると、すぐ背に中央線が音を立てて走っいった。目の前には、薬王寺の立派な本堂と2本の大銀杏の姿がある。
この公園は両脇を中央線の土手と薬王寺に挟まれているわけで、なかなか面白い場所にある。
園内の薬王寺側には、よく手入れがされた低木が建ち並んでおり、子どもたちはその木々の影に隠れてかくれんぼをしていた。
帰り道、日野駅近くの日野用水上堰に寄ってみると、かつての日野駅北西を写した「八ちょう田んぼ―日野駅北西―」というタイトルが付けられた写真(1937年真野博さん撮影)が貼られていた。 田植えの準備で代掻きをしている姿が写っていた。右に中央線の土手と左奥に薬王寺の樹木以外は何もなく、辺り一面に田んぼが広がっている。 現在は商店や住宅が広がり、かつての姿との変貌ぶりに時の流れを感じさせられた。
(2019年4月掲載) 地図
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