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立川駅南口から立川南通りを歩いて、中央線をまたいだ所で中央線沿いに南下すると、奥多摩街道にぶつかる。 さらに街道沿いに昭島方面に進み、何の変哲もない横道に入ると、残堀川の段丘に出た。駅から徒歩約20分。
段丘を川岸へと降りて行く坂が「山中坂」だった。その坂の中ほどに、斜面を背にして黒い石碑と小さなほこらが 並んで立っている。石碑には「山中坂悲歌」と題して歌詞が刻まれていた。その下に「碑文」と題し、 いわれを刻んだ石板が埋め込まれている。
碑文によると、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月から8月までの間、 立川は少なくとも13回の爆撃を受け三百三十人余が犠牲になった。山中坂にあった防空壕は、 B29が投下した爆弾が直撃し、避難していた子ども32人を含む42人が死亡したとのこと。 「一九九五年四月二日」とあるから、戦後50年を記念して建立されたに違いない。
かたわらのほこらは、犠牲となった人たちの鎮魂のため、戦後建てられたのだろうか。 中をのぞくと、地蔵らしき御姿と色鮮やかな花が見えた。
帰り道、残堀川の岸を歩くと、段丘斜面の竹やぶの陰に、いくつもの防空壕の跡が見えた。 眺めていると、歌碑にあった「あの悲しみをくり返さない あの悲しみをくり返さない」という祈りのような歌詞を思い出した。
(05年3月掲載) 地図
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