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八坂神社の鳥居
日野駅を降り、目の前を走る甲州街道を東に少し進むと、八坂神社に着いた。駅から歩いて3分ほど、あっという間に着いてしまった。
八坂神社の創建年代は不詳だが、多摩川の淵から拾い上げられた牛頭天王像(ごずてんのうぞう)を勧請し、祠を建てたのが八坂神社の始まりといわれている。かつては「牛頭天王社」と呼ばれていたそうだ。
甲州街道に面した鳥居をくぐり境内に入ると、右手には大きな社殿が建っていた。所々に紫色を配し、ちょっと変わった造りの神社といった印象だ。
なお、この大きな社殿の中には、寛政12年(1800年)に建造された本殿が収められている。精巧な彫刻が組み込まれた本殿は、江戸後期を代表する神社建築として日野市指定重要文化財に指定されている。
社殿の扉から内部を覗いてみると、少し距離はあるものの、細かい彫刻が施された本殿を垣間見ることができた。
また、この本殿には後に新選組に参加する近藤勇や、井上源三郎らが安政5年(1858年)に奉納した剣術額、「天然理心流奉納額」も収められている(9月中旬の例大祭と5月に行われる「ひの新選組まつり」の時には公開される)。そうした新選組ゆかりの地ということで、社殿右手では大きく「誠」と書かれた絵馬がかけられていた。
本殿内にある天然理心流奉納額の写真と解説
(同神社にある解説板より)
社殿左手には、境内社である八幡社と山王社があった。八幡社の正面には、細やかな龍の彫刻が施されており、なかなか立派な造りをしている。山王社は小さな祠であるが、その傍らから伸びる大木は、まるで巨人の足のように立派に根を張っていた。また、この日は七五三のお参りに訪れる家族連れも多く見られ、境内には簡単な休憩所も作られていた。
境内を出て、神社裏手の道を歩いていると、この地のかつての姿を写した写真が掲示されていた。大正時代に撮られたという写真では、境内から伸びるケヤキのすぐ脇を用水が流れていた。この水路は、昭和50年代に暗渠化されたとのことだ。地図を見ると、日野駅北側の線路をくぐっている日野用水は、この道の下を通り、先の水路に続いているようだ。駅の近くに妙な路地があるな、と思っていたが、かつての水路の名残ということなのだろう。
(2019年12月掲載) 地図
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